アレクサンドロス3世の逸話・英雄か悪人か?名誉欲の果て

アレクサンドロス3世の逸話・名誉欲の果ては英雄か悪人か?

 

アレクサンドロス3世の史実を紐解くと、栄光・英雄特有の横顔とともに、傍若無人な支配者としての顔が浮かび上がり、決して彼を端的に語ることはできない。

 

東方遠征という偉業を成し遂げたアレクサンドロス3世の逸話には実にさまざまな尾ひれが付いて周り、史実を追っていくことがその偉業を理解する助けとなるだろう

 

この時代の王者の香りフランキンセンス乳香についてのパートにご注目を。

 

 

 

アレクサンドロス3世のカリスマ的逸話

 

人目を引く見た目をしたイケメンだった・両目が違う色・オッドアイ

 

アレクサンドロス3世は肌は色白で髪の色は黄金、オーラに満ちた立ち振る舞い、イケメンと言われるだけの甘いマスクとして語り継がれている。

 

大王伝の中でアッリアノスはアレクサンドロス3世について「肉体は美しく頑健、知的で勇敢」と語っており、ちょうどのちにご紹介する映画アレクサンダーのコリンファレルのような典型的欧米人の外見をしていたのではないかと思われる。

 

 

 

そしてひときわ人目を引くアレクサンドロスの外見の特徴として、下のように伝えられる両目が違う色「虹彩異色・オッドアイ」について伝えなければならない。

 

一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く

 

この一度見つめたら吸い込まれそうになってしまう瞳や外見がアレクサンドロス3世のカリスマ的なイメージを増幅しているのは間違いない。

 

 

 

少年時代から利発

アレクサンダーのライオン狩り BC3

 

父親フィリッポスの不在でペルシャの遣いがやってきたときのこと。

 

アレクサンドロス3世はペルシャ方面の様子・戦争における王の様子・ペルシャの士気についてなど質問をしたとか。

 

とても少年とは思えないこの着眼に、遣いは親密な好意や熱意を感じ取り、同時に少年の行く末がフィリッポス2世をはるか上回ると確信したと言う。

 

 

 

暴れ馬をあっという間に調教

愛馬ブーケファラスに乗るアレクサンドロス3世

 

アレクサンドロス3世が特に大事にしていた名馬ブーケファラスとの出会いの逸話も見逃せない。

 

 

ある時テッサリア人がフィリッポス2世にブーケファラスという馬を13タラントンという高値で売ろうと持ち掛けていた。

 

強情で手の付けようがなかった馬にフィリッポスはイライラし始めて追い払おうとしていたところ、アレクサンドロス3世は自分の影に怖がっていた様子を見抜いて太陽の方向を向けさせ調教してしまう。

 

 

フィリッポス2世はアレクサンドロスに「お前は自分が物知りで上手に馬を扱えると思っているんだな?もし調教できなければ罰を受ける気はあるのか?」と聴いたところ、神に誓ってその代償を支払うと答えたと言う。

 

 

 

イッソスの会戦におけるゴルディオンの結び目伝説

ゴルディオンの結び目を破壊するアレクサンドロス3世

ゴルディオンの轅の結び目を解くアレクサンドロス3世

 

紀元前700年ころに現トルコ付近にゴルディウスという農民が王になったフリギュアという小さな国があり、神への感謝のしるしとして荷車を奉納している。

 

荷車の轅の結び目が固く頑丈なものだったことから、「轅の結び目を解いた者はアジアの覇者となる」という言い伝えが残されたとか。

 

 

 

アレクサンドロスはこの轅の結び目伝説に強烈な興味を持ったと伝えられる。

 

その轅の結び目はどこが始まりでどこが終わりなのか目を皿のようにしてもわからなかったが、そのまま諦めることもできず、一刀打したとか釘を抜いて結び目をほどいたとか、いとも簡単にほどいてしまったという逸話が残っている。

 

こののちに宿敵ダレイオスの妻と娘を捕虜にし、金銀財宝を没収、イッソスの会戦で勝利してしまうのだ。

 

 

イタリアポンペイの牧師の家で発見されたモザイク

ダレイオスとの激戦が描かれる

 

アレクサンドロス3世が既成概念にとらわれないキャラだということが伝わってくるエピソードだ。

 

 

 

 

父親の軍事力の基盤をそっくりそのままかっさらう幸運の持ち主

*当時のマケドニアの鎧

鉄製で布と革が貼り付けられ、黄金が施される

 

 

アレクサンドロス3世は天才的な軍略家として知られているが、すべての戦術が「天から降りてきた」というパターンだけではない。

 

事実、アレクサンドロス3世が大王に就任する前(16歳で摂政就任)に父親フィリッポス二世の戦場に何度か同行しており、その軍事力は極めて高かった。

 

 

 

大王伝を記したアリアノスによれば、当時の多くの軍は有事の時に軍人になる農民などもいて決して洗練されたものではなかったが、マケドニア軍は職業軍人も多く一糸乱れぬ統制ぶりや俊敏な動きが脅威になり、それだけで敵国は戦争放棄ということもあったと言う。

 

※歩兵部隊ファランクス・密集方陣

長さ5.5mの長槍を使い、密集するとハリネズミのような陣形になった

 

 

アレクサンドロス3世は有能な指揮官フィリッポス2世が築き上げた軍事の基盤を有効活用しながら、父親の元で戦術を磨く経験も与えられたうえで才能を開花させた。

 

こうした意味でアレクサンドロス3世はかなり恵まれた環境にあったと言ってしかるべきだろう。

 

何とかも実力のうちとはまさにこのことだ。

 

 

 

※マケドニアの長槍は当時の一般的な槍の倍近い長さで「無双」と呼ばれていた

 

 

 

信じがたい圧倒的な強さ

ダレイオス1世が建築したペルセポリス宮殿跡地

 

大王伝などの記述によると、宿敵ペルシャのダレイオスとの戦いでアレクサンドロスは信じ難いほど圧勝している。

 

これを双方の死者数で見るとわかりやすいだろうか。

 

※赤文字がマケドニア軍の死者、黒文字がペルシャ軍の死者

  • グラニコスの戦い:85人 / 1000人
  • イッソスの戦い:1万人
  • ガウガメラの戦い:100人 / 30万人

 

ほとんど相手にならないというほどの戦いぶりなのではないだろうか? このデータだけ見ると逸話どころか後世まで光輝き続けるレジェンドとしか言えない。

 

「未開の地を征服していくという前人未到の偉業」、無秩序から規則性を見つけ、それぞれを関連付けられる能力こそ想像力に翼が生える天才、これについて誰も異論はないだろう。

 

 

ペルセポリス宮殿跡地

 

 

実際、アレクサンドロス3世は戦地の地形を巧みに利用、兵の数で圧倒的に不利と考えられた戦況でも上のような圧勝を遂げている。

 

圧勝の末彼らは何をしたか? この時代の勝者には略奪行為が正当化されており、ペルシャの宮殿に残された財宝に限らず全てを際限なく略奪した。

 

そしてアレクサンドロス3世は王が所有していたペルセポリス宮殿の財宝を、ロバ2万頭5000のラクダで輸送している。これを繰り返して財政を強化していったのだ。

 

 

 

 

 

 

時に寛大さを示す英雄と化す

アレクサンドロスにひれ伏すダレイオスの母シシュガンビスと、妻ステタイラ

 

ペルシャの軍事力は最強と言われていたが、ダレイオスは後述する権力の印金銀財宝・王衣・弓・戦車など丸投げし、さらに母親のシシュガンビスと妻ステタイラ、子供を置き去りにして逃走した。

 

 

アレクサンドロス3世はダレイオスの母シシュガンビスと、妻ステタイラを丁重に扱い、王の寛大さを示して安心させている。

 

彼が美徳とした大王としての寛大さを示した逸話だ。

 

 

なお、ステタイラについてはのちにアレクサンドロス3世の王妃となっているが、最初の王妃ロクサネに殺されている。

 

 

 

 

アリストテレスを師と呼びながらはるかに超える政策を打ち出す

アリストテレスとプラトン ラファエロ・サンティ

 

哲学や学問の巨匠問われるアリストテレスがアレクサンドロス3世の家庭教師だったことはわりと有名な逸話である。

 

アリストテレスはアレクサンドロス3世に「正しい植民地の建設」について教示したときに、以下のような王としての振る舞いを勧めていた。

 

  • ギリシャ:友人・彼らの指導者
  • 異民族:動植物同様

 

実際アレクサンドロス3世は異民族を側近高官などとして就任させる政策を取っており、ギリシャ世界の枠組みを超えないアリストテレスとは対極をなしていたことは決定的だった。

 

 

 

 

アレクサンドロス3世は同性愛者だった

映画アレクサンダーより

 

側近護衛官であり親友のへファイスティオンと同性愛関係にあったというのは事実とされる。

 

宿敵ダレイオス三世の妻を捕虜にした際、へファイスティオンのことを「彼もまたアレクサンドロス3世だ」と紹介したこともあり、自身の右腕以上・かけがえのない存在だったとされる。

 

へファイスティオンが亡くなった時、アレクサンドロス3世は喪失感のやり場なく空前規模の霊廟を作るように命じた。

 

 

 

父親フィリッポスが重用していた側近たちは老練で、アレクサンドロスはへファイスティオンと同年代のマケドニア出身の将兵を身辺に置いた。

 

10人に満たない王の側近中の側近は親衛隊と呼ばれ羨望の的となったが、実質同性愛という精神的なつながりが互いの信頼関係として重要な役割を持ったというのだ。

 

 

 

 

この当時同性愛は決して珍しいことではない。

 

アレクサンドロス3世の父親フィリッポスも同性愛者だったと考えられており、恋愛関係のもつれから側近護衛官のパウサニアスに短剣で胸を刺されて即死している。

 

同性愛が日常茶飯事だったがゆえにカミングアウトするまでもなく暗黙の了解だったところもあるが、それが発覚しやすいのが死に際だという。愛と憎しみは共存するとはこのことだろう。

 

 

映画アレクサンダーより

 

また、アレクサンドロス3世はこの時代の王としては異例の28歳で妻を娶っており、それまでは強烈なマザコンゆえに同年代の女性に興味を持てないと言われていた。

 

マザコンというと聞こえは良くないが、アレクサンドロス3世と母親オリンピュアスは強いきずなで結ばれていた。

 

独断により政治的振る舞いを行うこともあったオリンピュアス結果的には追放されてしまうが、これを取り持ったのがアレクサンドロス3世で、遠征中離れていても連絡を絶やさなかったと言う。

 

 

 

織田信長など日本の戦国武将でも同性愛は珍しくなかったと言うので、この戦国の強者の特徴の一つと言うべきだろうか。

 

 

 

 

アレクサンドロス3世の名誉欲・承認欲にまつわる逸話

 

アレクサンドロス3世が2000年たった今も卓越した傑物であることは疑いない。

 

しかし英雄として伝えられる物語からどんなに慎重に尾ひれを取り除いても、史実には強烈な名誉欲や承認欲が必ずついて回る。

 

 

 

対エジプト・神の子と呼ばれたい

ルクソール神殿 ミン神とアレクサンダーの浮き彫

 

エジプト征服時、アレクサンドロス3世はペルシオンの最高神アモンを祭る神殿を訪れ、神託を受けた。

 

神殿では神と対峙するのはアレクサンドロスだけだったし神託の内容は王が完全に伏せていたため、その内容の信ぴょう性はだいぶ薄れるが、本人が伝えたところによると「自らは神の子だと証明された」と発言したという。

 

王の質問に対して「船が前傾すれば肯定、後傾すれば否定」というような問答が取られたとされ、話の内容からしてアレクサンドロス自身が神の子かどうかを問う内容だったと考えられ、神官が立ち合ってアレクサンドロス3世に「神の子」と呼びかけたというのだ。

 

 

確かに古代エジプトでは支配者をファラオと呼び、ファラオは太陽神ラーの子とされるが、通例的に神の子と呼んだだけだったのではないかと解釈される説もある。

 

 

エジプトを支配し神託を得たと発言したとしても、現地の権力を支える祭司からの後援がなければそれを維持することはできなかったので、アレクサンドロス3世は聖堂を建設したり聖域の改修を援助したり、壁画に自らを刻んだり必死のアピールを試みたと言う。

 

我は神の子である、とはなんとも高すぎる承認欲求を垣間見れる逸話ではないだろうか。

 

 

 

強大な王権の視覚化戦略にアロマを巧みに活用:乳香フランキンセンス

 

アレクサンドロスの史実には、重要なタイミングで乳香(フランキンセンス)というアロマが登場する。ここでは3つのエピソードを紹介しようと思う。

 

 

バビロニア征服時の豪華絢爛たるパレード

アレクサンドロス3世のバビロニア入城 シャルルルブラン

 

アレクサンドロスがバビロニアを征服した際、権威と名声を誇り続けたバビロニアでは市民によって花や賛歌が捧げられ歓迎ムードが漂い、檻に入れられた豹とバビロニア騎兵が荘厳な出迎えをしたという。

 

そしてペルシャ人財務担当大臣であるバコファネスは、銀の祭壇をセッティングして乳香を焚き、さらに財宝庫の鍵を捧げた。

 

 

アレクサンドロス3世は贈られたラクダや象を従えて威風堂々と入城し、バビロンの神々に敬意を示したと言う。

 

実際の統治についてはペルシャ人を現地の州長官に重用、軍事や財政はマケドニア人に委ねた。

 

 

 

乳香を湯水のように使うのが王たる生活

 

アケメネス朝ペルシアを支配した後のアレクサンドロス3世に対して、大王伝の多くが「堕落と贅沢」について指摘している。

 

前三世紀の作家フェラスコスが以下のように伝えた。

 

 

紀元前333年 イッソスの会戦でダレイオス三世の天幕にアレクサンドロス3世が入ったところ、下のような豪華絢爛ぶりに度肝を抜かれ「これが王たる者の生活か…」とつぶやいた。

 

  • 黄金製の香油瓶があちらこちらに置かれ、天幕隅々まで乳香がかぐわしく満たされていた
  • 黄金の豪華な装飾・皿・水差し・浴槽・馬具
  • 兵への支払いに蓄えてあった金
  • 玉座の上に立つ金の葡萄の木(樹木に黄金や宝石を施した玉座の飾り)

 

天幕

出典:.jw.org

 

 

天幕とは大王の移動式宮殿。

 

 

 

うらやましい…といった感嘆ではなく、「こんな豪奢な生活をしていては私との戦争で逃走してばかりなのも無理はないですよ。こんな軟な生活をしてては私に勝てるはずがありません。見て呆れましたよ。」という意味だったらしい。

 

しかしこの後ダレイオス三世を打ち負かした後、軟弱と見下したはずのアレクサンドロス3世自身がそっくりそのままダレイオスの天幕を再現してしまうのだ。

 

 

「信じ難いほどの贅沢ぶりと映ったはずのダレイオスの日常を、ダレイオスを破った後にアレクサンドロス3世が模倣した」、こうした様子を周りは「滑稽な堕落」と見なした。

 

 

 

 

 

この天幕を活用したアレクサンドロスの興味深い逸話がある。

 

法廷で何か裁決をするときに、簡素な法廷の場を選ぶこともあれば、相手が東方人だったときはその豪奢な天幕を裁決の場として活用することもあったそうだ。

 

 

言ってみれば東方人に対してダレイオス三世を超える権威を見せつける目的だったのだ。※ローマ帝政時代ポリュアイノスの証言

 

 

アレクサンドロス3世という人間の実にいろんな側面を垣間見れる逸話だ。

 

 

 

 

 

王権の視覚化に活用され超絶な高貴人に許されるステータスシンボル乳香

 

アレクサンドロス3世の宿敵ダレイオス三世が移動する際は以下の人員が必須で投入されたという。

  • 香水作り(調香師)
  • 花冠職人
  • 演奏係
  • ワイン係
  • 入浴係
  • チーズ職人
  • 飲食

 

アレクサンドロス3世もこのダレイオス三世の王権の視覚化に倣って前述した豪華絢爛な見せ方をしたと考えられている。

 

 

 

対レオニダス・軽い報復

 

乳香にまつわるアレクサンドロス3世の逸話で、彼が何を大切にしていたのかがわかる興味深いエピソードがある。

 

アレクサンドロス3世の幼少時代の家庭教師は、母親オリンピュアスの遠い親戚にあたるレオニダスだった。

 

レオニダスの指導のもと、ホメロスやトロイアのアキレウスなど英雄伝や哲学政治学などを学んで過ごした。

 

 

 

ある時レクサンドロス3世が無造作に乳香を焚こうとしたところ、レオニダスは「乳香の産地シバの国を征服するまではもっと倹約しなければなりません」と諭したと言う。

 

 

 

 

20歳の若さで即位したアレクサンドロスはみるみるうちに頭角を現し、エジプト近いガザを征服したとき、真っ先にレオニダスに乳香を送り届けたと言われている。

 

しかも「たくさん乳香を送りますので、もう神にケチケチしないでください。」というメッセージまで送ったのだ。

 

 

 

これについて、少なくても3つの見方ができる

  1. 私も香料の産地を征服できるまでに成長しました、という報告と意気揚々とした気持ちの表れ
  2. 倹約せよという忠告はアレクサンドロスにとってマケドニアの弱さを指摘する行為であり、傷つけられた上での報復
  3. もう私は昔のアレクサンドロス3世ではありません、とっくにあなたを超えています、というマウントの気持ちの表れ

 

 

このページ全体にわたって伝えている通り、アレクサンドロスのパーソナリティは誰にも登れない高いプライドで覆われている。

 

3つとも入り混じっているだろう。それならば彼にとって名誉・自尊心こそ一番守りたいものだったということが浮かび上がらないだろうか?

 

 

前述のエジプトファラオにも乳香フランキンセンスが捧げられる習慣があり、まさに王たるもののシンボルというイメージがアレクサンドロス3世にあったことは確か。

 

父親に帝王学がなんたるかを叩き込まれた子息にとって、「そんなに使わず倹約せよ」という忠告ほど危険な言葉はない。

 

そなたはまだ王たる者に不足する」とも取れる発言が彼にどれほどの屈辱を実感させてしまうことになるか、レオニダスは想像も付かなかったろう。

 

 

 

対フィリッポス二世・私は父親を超える存在

*ヴェルギナの王墳から見つかった3p代の頭像

左がオリンピュアス、中がアレクサンドロス3世、右がフィリッポス2世

 

父親フィリッポス二世への対抗心はきわめて強い。

 

東方遠征はアレクサンドロス3世固有の政策のように見られがちだが、実はフィリッポス二世が元から画策していたもので、彼自身はその北限をドナウ川以内と考えていた。

 

アレクサンドロス3世は父親を超えるがごとく征服の北限をドナウ河を超えている。

 

父親フィリッポス二世に対するマウント欲はこんなエピソードに留まらない。

 

 

 

前328年に行われた宴で、アレクサンドロス3世は父親フィリッポスの業績を見下した

 

この時にフィリッポスにも遣えた古参兵であるクレイトス(フィリッポスの乳兄弟)が酔った勢いでアレクサンドロス3世を諭そうとしたところ、アレクサンドロス3世は不快に思ってしまう。

 

ダメ出しでクレイトスは「グラニコスの会戦で私があなたの命を救ったのですよ」というような発言をしてしまい、ブチ切れた王は掴みかかろうとして周囲が止めにかかった

 

 

 

 

そしてクレイトスが「ああギリシャにはなんて忌々しい風習があるのか」といった火に油を注ぐとどめの一言を発したときに、アレクサンドロスは兵の槍をつかみ取って彼を一撃したという。

 

大王伝では、このクレイトスの言動をについて「自分の父親はフィリッポスではなく、アモン神だとする主張が聞くに堪えないと考えていたのではないか」と説明されている。

 

周りはどうにかしてたしなめたかったろうが、アモンの神託を受け完全にアレクサンドロス3世の意識は超絶にハイになっていただろう。

 

そこに水を刺す者が表れたら惨殺一択だったのかもしれない。

 

 

 

 

対ギリシャ出身兵・余興でも真剣勝負

 

紀元前321年インダス川付近でアレクサンドロス3世は宴を開く。

 

この宴でマケドニア人とギリシャ人による一騎打ちが行なわれ、マケドニアが負けてしまった。

 

この時の状況をクルティウスとディオドロスの大王伝ではともに「アレクサンドロスは露骨に不機嫌だった」と伝え、さらに勝者のギリシャ人に盗みの罪を着せて見せしめにし、自害に追い込んだと言う。

 

たかが宴会での余興だとしか思えない一騎打ちでの言動は、アレクサンドロス3世そのものを映す出来事だった。

 

彼にとって何事においてもマケドニアはギリシャに負けてはならないセオリーだったのだ。

 

 

 

逆らう者へ容赦ない仕打ちについての逸話

 

アレクサンドロス3世は逆らう者へ容赦ない仕打ちを繰り返した。ここでも史実を元にアレクサンドロスの逸話を追ってみよう。

 

 

裏切りのグラ二コス会戦

グラニコスの会戦 シャルルルブラン

 

グラニコスの会戦では、宿敵ペルシャにギリシャ軍が後援する形になった。

 

この会戦前、「マケドニアとギリシャはともにペルシャと戦う」という大義名分が強まっていたために、ギリシャの裏切りはアレクサンドロス3世への強烈な敵対心として取られてしまう。

 

 

ペルシャ軍は逃走、残されたギリシャ軍はマケドニア軍に包囲され降伏を申し入れるも聞き入れてもらえない。

 

アレクサンドロス3世はギリシャ軍に対し歩兵と騎兵でめった打ちにしてから、さらに足枷をつけて血を流しながら重労働を負わせた。

 

 

 

この時の様子についてプルタコスは大王伝の中で「理性を失った激情」と解説している。

 

はたから見てアレクサンドロス3世のギリシャ軍への仕打ちは、明らかにやり過ぎ・逸脱しており、止めようがないほどにヒートしてしまった結果と考えられる。

 

 

 

 

体の良い事実上の流刑

エジプト アレクサンドリア

 

アレクサンドロスのギリシャ出身兵に対する冷遇の逸話は事欠かない。

 

彼は征服した土地にアレクサンドリアと命名し(70ほどあったとされる)、そこには経験値が豊富なギリシャ兵を配置、それは事実上の流刑を意味していた。

 

 

ギリシャ出身兵にはフィリッポス二世やアレクサンドロス3世によって追放されたものが多く、決まって増悪の念は強い、マケドニアにとって危険因子であったことは間違いない。

 

 

 

この不安要素もあって遠い異国の侵略地に彼らを配置、完全アウエーな土地で意欲を低下させ、郷愁や対マケドニアへの増悪は一層高まり、騒ぎが起こることもあった。

 

アレクサンドロス3世は自分にとって不利な言動を起こした兵に対し無規律部隊というあだ名をつけて見せしめにしたという。

 

 

ギリシャ出身兵へのこうした処遇は、言ってみれば「ギリシャへの見せしめ・人質」として活用されてしまった。

 

これだけでなく、アレクサンドロス3世のギリシャ出身兵への冷遇は一貫していのだ。

 

 

 

ギリシャ出身の軍隊を容易に採用しない

 

当時のマケドニア軍にもギリシャ出身の兵は存在していたが、アレクサンドロス3世はあまり採用していなかったとされている。

 

会戦前にギリシャ出身の兵に対し「ギリシャのために戦おう」などと熱い演説を行うも、結局主要な戦争で彼らを採用することは少なかった。

 

これはアレクサンドロス3世がギリシャに対する徹底した変えることのできない不信感を表す興味深い逸話かもしれない。

 

アレクサンドロス3世の重用は、やっぱりマケドニア

下はアレクサンドロス3世のリクルート状況 花形はマケドニア人に偏っていた。

  • マケドニア出身の若い貴族将兵:アレクサンドロスの側近中の側近・親衛隊
  • マケドニア出身の貴族:騎兵
  • マケドニア出身の農民:ファンランクス(密集方陣)
  • コリントス同盟所属のギリシャ兵:歩兵と騎兵
  • バルカン半島民族:軽装歩兵・騎兵・槍兵

 

ギリシャ出身兵はバルカン半島民族よりも重用されたかもしれないが、その実力からすると冷遇と見られるパターンが多い

 

 

 

結局アレクサンドロス3世は何を果たしたかったのか?

 

ギリシャの属国の位置づけだったマケドニアがわずか10年のうちに大帝国へと発展していったその首謀者アレクサンドロス3世には、特に偉業東方遠征の動機について謎と考えられる場合が多い。

 

この謎に対し、これまでの逸話から読み取れる事は多いのではないだろうか?

 

 

 

アレクサンドロス3世の死後、大王伝を執筆したアリアノスは「栄光とリスクを共に愛し、崇高な精神活動から得られる名誉を常に追い求めていた。征服したものにとどまることなく常に未知なるものを求めていた」と伝える。

 

特定の場所を支配したら目標が達成できたと考えるわけではなかったろう。

 

 

この時代生きるか死ぬか?というシンプルながら剣を持って身を守りながらサバイブしなければならない時代だった。

 

 

 

この背景において個人・国という生存競争で「常に勝利」し続けなければならない。

 

そうした滅びることのない名声が何よりも重要視され、これこそが彼の迸るような情熱(執念)の原動力だった。

 

 

敵を制圧して支配下に置き、過去の自分を常に塗り替えて上回ることが彼が求めて止まないものだったのではないだろうか。

 

この点では、アレクサンドロスの生きざまは純粋・人間としてきわめて崇高な在り方だと言える。

 

 

アレクサンドロス3世の故郷マケドニア

 

 

 

アレクサンドロス3世の周りの側近・兵士たちにとっても同じで、故郷を離れて延々と移動を繰り返す中、我先に名誉と富を勝ち取ろうと戦う日々だったのだ。

 

異国の地を制覇し続ける大王の姿は周囲にも光輝く英雄にしか見えなかっただろう。

 

 

アレクサンドロスが刻まれた硬貨

 

 

 

 

類まれな軍略家や武人ならば、「強いから戦場にいる」と誇らしげに答える。王ならば、「王たるものは国を守る者」と自覚する。

 

しかしこれだけでアレクサンドロス3世を語るのは大きな矛盾が生じてしまう。一方で自分への挑戦という題目を付け加えたらその矛盾が消えるかと言えばそうでもない。

 

 

膨大過ぎる犠牲・損失・代償が生じていることも鑑みると、すべては強烈なエゴが成せる業だったとしか説明できないのではなかろうか。

 

 

 

 

ギリシャとペルシャの融合政策を成し遂げたと言われがちだが、それではあまりに実質を欠く説明になってしまう。

 

確かに征服地ペルシャ人の習慣を踏襲しようとかなり気を遣って配慮していたが、飴と鞭を巧みに使い分け結局己の支配にメリットのある範囲で都合のいいことを取り入れたに過ぎない。

 

ギリシャの伝統的家屋

ギリシャの伝統的家屋(上)と、イスラム建築(下はモスク)は非常に似通っている

イスラムのモスク

 

 

 

20代前後の若い男性にありがちな、「力が有り余って向けどころのない様」というようにカテゴライズして彼を理解しようとすると、生まれてしまった代償が大き過ぎて当てはまり切らない。

 

織田信長が現代に存在していたら、たいていの現代人は「身近にいたら困っちゃうだろうな」と倦厭するだろう。アレクサンドロス3世もおそらくこれと同じ類だ。

 

 

傍若無人に振舞って周りに有無を言わさないエゴイストとしてのアレクサンドロス3世の言動は現世ではやはり遠慮されてしまう。

 

最後に勝手な所感になってしまうがアレクサンドロス3世は、「外面が抜群に良いゆえに周りは惑わされがち・ストレスを抱えて周りに当たり散らす・手段を問わず気に食わない人材を蹴落とす」といった現代的ビジネスマンのように思える。

 

今なお届く栄光は、その時代だったからこそ成り立つものだったのだ。

 

 

 

 

【補足】王たる者の香り:乳香フランキンセンス

出典:TREE OF LIFE

 

アレクサンドロス3世が強大な王権の顕示欲に活用したフランキンセンスとはどんな香りなのかを簡単に説明しようと思う。

 

この香りの歴史はざっと4000〜5000年ほどあり、最古の記録では古代エジプトで活用されていた。

 

ハトシェプス宮殿に描かれた乳香の樹木

 

 

乳香フランキンセンスはアレクサンドロスが征服したアラビア半島に今なお生息しており、乾いた荒地ほど良質な香りが採取できるという。

 

 

シバ王国跡地と考えられている乳香の産地・出航地であり世界遺産KHOR RORI

 

 

この乳香を採取するのは遊牧民ベドウイン。下のように刃物で樹皮に傷をつけるとコンデンスミルクのように粘性の高いゴム質の樹脂が滲み出てくる。

 

出典:朝日新聞 globe 2013

 

乳香の硬化した状態・筆者撮影

 

 

前述のシバの国の女王、そしてクレオパトラにも愛され、キリストの生誕時に救世主のシンボルとしてささげられている。

 

 

 

乳香をよく知られる香りで表現するならばレモンとサンダルウッドを合わせたような、それでいて深い落ち着きをもたらす香りだ。

 

古代エジプトでは香りが神と人間を仲介すると考えており、乳香は神の化身的な存在だった。神の子にこだわったアレクサンドロスが乳香で躍起になる理由はここにある。

 

 

 

 

 

執筆:調香師 雨宮悠天
商業施設で香りによるブランディングのプロデュースを行なうアロマ空間デザインを事業の一つとしている。
記事中にあるフランキンセンスについては、商業施設のように不特定多数の老若男女に好感度抜群の香りとして好まれるような香りではない。
しんみりとした時間に一人で楽しむ香りがフランキンセンスではないかと思う。

 

 

 

【画像の出典】
*:ピエールブリアン アレクサンダー大王 未完の世界帝国
※:森谷公俊 アレクサンドロスの征服と神話
ほか出典明記なき画像はフリー画像サイト、使用が許可されたWIKIPEDIAの画像より

 

 

【参考】
山田憲太郎 香談 東と西
森谷公俊 アレクサンドロスの征服と神話
ピエールブリアン アレクサンダー大王 未完の世界帝国

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